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KOHKIセラピストとして活躍中の
星野助産師をメインアドバイザー
として迎えた育児相談ブログ。
不妊の悩み、妊娠・育児中の悩み、カラダとココロの悩み、明るくみんなで乗り越えましょう!
 „子供と家族の健康は、
           家庭で守る“
をモットーに、KOHKIを育児に、家族ケアに活用しているお母さん達の日々の記録も。

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不妊~出産までの体験記6

不妊~出産までの体験記6

前回の記事はこちら 

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自分の体を自分で日々ケアできるよう、またそれを家族の健康維持のためにも

役立てられることに大きな魅力を感じて開始した、光輝セラピーの勉強。

医学についての基礎も何もないところからスタートしたので、

座学の講義を受けるたびに「人間のからだは本当によくできているんだなぁ」と思いました。

東洋医学の講義では、人の感情や味覚、四季や色が体の臓器のどの部位とつながっているのかなどを

勉強したり、とても興味深いものでした。

セラピーの実技の講習では、体がガチガチに硬い私は、光輝療法独特の柔らかな動きには程遠く、

自分の体がしっかりと使えないものですから、講習の翌日には、太ももが筋肉痛・・・

という有様でした(笑)。

この時期になって、ようやく本当に少しずつ、自分の体の状態に関心が向き始めたのかもしれません。

あるセラピストの先生より、「この手のペタペタした感じが取れたら、きっと赤ちゃんを授かるよ」と

励ましていただいたことが、私にとってはそれ以降、光輝の勉強や不妊治療中の大きな励みになりました。

以前から私の手は汗ばんでいるような感じでシットリとしており、「汗っかきなのかしら」と

あまり気にも留めていなかったのですが、それは大きな勘違いで、手、足先など、

体の抹消の循環が悪いこと、また体の中の冷えが強いと出てくる症状の一つと知りました。

光輝の施術を受けているうちに、いつの間にかその症状は消え、今では時々手がペタペタしてくると、

体からのSOSサインだと受け止められるようになりました。



(体験記7に続く)

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不妊~出産までの体験記5

不妊~出産までの体験記5

前回の記事はこちら


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2005年8月、33歳のときに日本に帰国。

再びフルタイムでの仕事に就きながら、週に1~2回、週末や、時に仕事帰りに、

光輝セラピーを受けに通い出しました。

このころは、子どもを望みながらも、新たにスタートした仕事も楽しくて、

「自然に授かればいいなぁ」と楽天的なもので、いったん中断していた病院での不妊治療に

再度通うことはあまり考えていませんでした。



仕事を終えた日のある夜、いつものように主人と二人で光輝セラピーを受けに行きました。

その日に施術をしてくださったセラピストの先生より、

「もし本当に子どもを望むのであれば、その治療に専念してみたらいかがですか?」

とアドバイスをいただきました。当時私は33歳でしたし、結婚から5年が経過してしており、

不妊の定義(避妊をしていないのに2年以上にわたって妊娠に至れない状態)には

しっかり当てはまっていました。

自分たちがいまできることは何か。

これから先、どのようにしていきたいのかを主人と話し合い、

2006年夏、思い切って仕事を辞め、光輝東京スクールにて、

光輝セラピーの勉強をスタートしました。



(体験記6に続く)

不妊~出産までの体験記4

不妊~出産までの体験記4

前回の記事はこちら

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その同僚に出会ったのは、東京での生活がスタートして、

派遣社員として働いていた先でのことでした。

同僚は、産婦人科で卵管閉塞が認められ、不妊治療に臨んでいました。

何度か妊娠をしたのですが、いずれも流産となってしまい、

医師より、習慣性流産ではと診断されたそうでした。


私が彼女に出会ったころには、おなかの赤ちゃんが安定期に入るという頃で、

「自分ではわからないことが多いから、とにかくできるだけ早いうちに

不妊治療専門のお医者さんに診てもらったほうがいいよ。

もし何か原因があるのであれば、治療できるのだから」と勧めてくれたのです。


そうして私は、彼女の経験からの強いアドバイスを聞き、

不妊治療を目的に初めて病院に通いだしました。



不妊治療のために初めて通いだした病院では、

できる限り自然な形で子どもを授かりたいという私達夫婦の希望もあり、

主に基礎体温表を見ての、タイミング法の指導のみを行っていました。



結局、数度のタイミング法は鳴かず飛ばずの結果に終わり、

お医者様より人工授精(AIH)を試みてはどうかとアドバイスをもらいました。

しかしこのとき、主人の仕事の都合によって、再度日本を離れることになったのです。

いったんここで不妊治療をお休みすることに決めました。


当時はどこかまだ、夫も私も人工授精などの高度な不妊治療には、

やや抵抗をもっていたように思います。



次回に続く

テーマ : 不妊治療
ジャンル : 結婚・家庭生活

不妊~出産までの体験記3

(前回の体験記を読んでいないかたはこちら)

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当時私は、イギリスに住んでいたのですが、時々指圧やらリフレキソロジーなどの

治療を受けていました。初めてリフレキソロジーを受けたとき、施術をしてくださった方に、

「このカチコチの足裏じゃ、早死にするよ」と言われ、びっくりしたことがありました。

当時の私にとっては、肩こりがあるのが当たり前。

指摘されたカチカチと音がしそうな硬い足裏さえ、私にとってはそれが通常の状態で、

大きな病気にかかったこともないし、自分は健康上何の問題もないと思っていたのです。


年月が経つにつれ、会社の同僚や友人が次々と妊娠をし、赤ちゃんを授かる姿を見て、

少しずつ「やっぱりどこか具合が悪いのかな・・・」と焦るようになりました。

ただそれでも、不妊治療のために病院に行くということはせず、

もう少し自然に任せてみようかと主人と話をしていました。

ちょうどその頃、主人の東京勤務が決まり、2004年12月、

イギリスを離れて東京に移ることになりました。


(不妊~出産までの体験記4に続く)




テーマ : 不妊治療
ジャンル : 結婚・家庭生活

不妊~出産までの体験記2

(体験記1はこちら)

・・・・・・・・・・・・

2000年10月に結婚。

今思うと恥ずかしいほどに自分の体に関しては無知で、結婚当初は

「いつか自然に子供は授かるだろう」と、主人も私も簡単に思っていました。

何の兆候もないまま1、2年が過ぎ、基礎体温をつけ始めたのですが、

朝の体温は35度台という日がほとんど。

排卵前にある高温期と呼ばれる時期でさえ、36度台前半というありさま。

今で言う「低体温症」でした。

光輝療法では「妊娠するためには体の内核温度が37度前後であることが大切」

と後に教わりました。それをふまえると、あまりの低さです。

それでも当時の私は、生理も定期的にきていましたので、特に深く考えることもなく、

体を冷やさないよう、食事に体を温める効果のある食材を取り入れる程度、というありさまでした。



(次回に続く)



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